世界遺産シーギリヤ。狂気の王様が築いた天空の宮殿に孤独な風が吹く
ダンブッラの次に向かったのはスリランカ随一の世界遺産「シーギリヤ・ロック」へ!
ダンブッラのバスターミナルからバスで30分ほど。あっという間にシーギリヤの町にやってきました。
遺跡周辺に幾つかの宿があるだけの、とても簡素な町という印象です。
シーギリヤで泊まった宿
シーギリヤではザ ニルミニ ロッジ(The Nilmini Lodge)に1泊しました。
気楽な雰囲気のバックパッカー宿です。
優しさあふれるおばあちゃんがいてとても気さくに対応してくれました。息子さんが今日本で働いているということでとても親日的。おばあちゃんも来日経験があり写真をいろいろ見せてもらったりしました。
▲日本で買ってきた血圧計の使い方が分からないというので、教えてあげたりしました。かわいいおばあちゃんです。
▲ちなみに翌日の朝ごはん(別料金)もかなり豪勢で食べきれませんでした><
シーギリヤ・ロック周辺を歩く
世界遺産の岩山登頂は早朝がオススメと聞いたので、昼過ぎに到着したその日は周辺をぶらついてみることにしました。
宿泊していたニルミニロッジは遺跡の出口がある南側に位置し、歩いてすぐの場所から敷地内に入ることができました。
岩山への道はもちろんチケットがないと入れませんが、敷地内のお堀の周りは自由に散歩できます。
目の前に巨大な岩山を目にしつつ、夕方の散歩もなかなか楽しかったです。
せっかく持ってきたのだからと、望遠レンズでいろいろ撮影。
▲岩山の頂上付近を望遠撮影。人が何人かいます。
朝一番乗りでシーギリヤロックに登る
翌朝、6時過ぎに起きてゲストハウスの朝食を頂き、シーギリヤロックへの入口へと歩いて向かいます。
なんと、うちの妻はここも「チケット高いからお留守番してるー」と最初からやる気なし。まあ確かにチケット代は約4000ルピー(3600円ほど)とスリランカの物価を考えると激高。それに観光名所だろうと人が多いところにワザワザ行く気もしない。そんな主張です。いや僕も基本同じスタンスなんですけどね。
だけどスリランカ随一と言われる世界遺産、そして謎めいた伝説の残る場所ということで、なんというか「ロマン」を感じるじゃないですか。
他の観光名所はそれほど興味がわかないのですが、この場所だけは絶対行きたいと思ってスリランカにやってきたわけです。
妻は相変わらずドライな反応だったので「留守は任せた!」と捨て台詞を残し目指すシーギリヤへと向かいました。
チケット売り場
入口は敷地の西側にあり、前日に散歩したルートをたどって行きました。
さすがにスリランカ一の観光資源、チケット売り場もしっかりとわかりやすく、ダンブッラの時みたいにどこでチケットを買えばいいのか分からん!ということはなかったです。
▲チケット代3,950ルピーという鬼のような金額を支払い、チケットをゲット。なんだかものものしい物体です。ていうか、身軽に動きたい身としてはかさばります><
他に数組入場者がいましたが、ガイド付きの観光客のようで、ところどころでガイドさんがレクチャーしておりました。
そんな人々を尻目にグングンと上へ上へ進んでいきます。
▲従業員?の皆さん、朝の清掃をしっかりやってました。
岩山の麓に広がる沐浴場、水の広場
敷地内に幾つかある池の水を地下水路でくみ上げ、王様や貴族たちが沐浴場として使っていたらしいです。1400年前にこれほどの設備が整っていたというのは確かに驚きです。
ガイドブックのコピーを持ってきていたので「ここはこういう場所なのか、なるほど!はいっ次!」という具合にポイントポイントで長居せずにすばやくゴールへと足を運んでいきます。
基本的にガイドさん付きの名所めぐりはあんまり好きじゃないのはそういう理由です。常に自分のペースで動きたいので
ただアウシュビッツに行った時とかは「この場所で何があったのか本当に学びたい!知りたい!」という願望が強かったので迷わずガイドをお願いしたりしました。そういう時は別ですね。
話が逸れましたが、とにかくハイスピードで歩いて行ったため、ほぼ一番乗り。人混みが苦手な身としては混み合う時間を割けられたのが良かったです。
シーギリヤの悲劇的な伝説
ここでシーギリヤにまつわる伝説をおさらい。
Google先生、お願いします。
5世紀、当時の王の息子カッサパ1世はクーデターを起こし、477年に父親から王権を奪取。しかし平民出身の母親を持つカッサパ王は、王族出身の母を持つ弟モッガラーナに王位を奪還される事を恐れ、長らく首都であったアヌラーダプラを離れ、より安全なシーギリヤへと遷都した。カッサパが在位にあった477年から495年の間、シーギリヤは複雑な市街と防衛機能を併せ持つ都として発展し、即位から7年後にはシーギリヤロックの頂上に王宮が完成する。
一方、兄カッサパからの難を逃れていたモッガラーナは、亡命先の南インドから軍隊を引き連れ兄に戦いを仕掛ける。当初はカッサパ王が優勢であったものの後に劣勢に転じ、観念した王は喉を掻き切り自害、495年、シーギリヤは陥落する。王位についたモッガラーナはシーギリヤを仏教僧に寄進し、再び都をアヌラーダプラへと移した。
▲Wikipediaより抜粋
▲建設当時の想像図。
Source:Slide Share
シーギリヤ陥落後しばらく修道院として存続するものの徐々に衰退。その後築かれた王国でもこの地は放棄され、徐々に歴史と記憶の片隅へと追いやられていきます。
そして建設から約1400年後、イギリス統治下の1875年にイギリス人によって岩山に描かれたフレスコ画が発見され、シーギリヤがかつて王国だったことが明らかにされていきました。
悲壮感漂う伝説が残る場所だけど、なんだかロマンを感じるじゃないですかぁ。
・・・さて、シーギリヤの名所スポットを次々と巡って行きましょう。
▲階段の途中で番犬2匹に足止めを食らわされました。こんなところでキュン死するわけにはいきません。
壁画(シーギリヤ・レディ)
岩山の中腹に描かれた壁画。美しい美女の像。
▲ダイジェスト風にまとめてみました。
自らの欲望のため死に至らしめた父の魂を癒すために家来に描かせたという説もあり。
▲今では鉄製の螺旋階段(1930年代にイギリスが作ったもの)が設置されているけど、当時はもっと簡素なものだったはず。
今はこうして近代的な足場が組まれてこの場所にたどりつけるけど、当時はいったいどうやってこんな場所に・・・不思議でならない。
王様の命令を受け、何人もの家来が落下事故を起こして命を落としたのは想像に難くない。
▲上半身が露わになっているのは当時のファッション。モデルとなった女性たちもこの場所に住んでいたのだろうか。
現存するシーギリヤ・レディは18人ですが、当時は500人ほどが岩山のあちこちに描かれていたとか。
(上の写真は意味もなく画像加工してみてました。)
鏡の回廊(ミラー・ウォール)
これも王様のエゴがなせるワザ。
今はくすんでいる壁だけど、当時は卵の卵白を土に練り込み、表面がテカるように仕上げられたという。
岩山のほうに描かれた壁画の美女がこの壁に写し出されて、癒し効果倍増!
・・・って、亡き父(あるいは自らの心)を少しでも多く慰めるため、こんな狂気な回廊を築いたのでしょう。
ライオンヘッド
頂上の王宮への道に築かれたライオンゲート。
今は前足の部分しか残っていないのですが、元々は巨大なライオンの顔が置かれていたといいます。
▲シーギリヤ現役時代の想像図。イラストアーティストさんの絵を拝借しました。
Source:Charlie Swerdlow History Depicted
頂上
階段を登りつめた先は岩山の頂上。
わずかに痕跡が残っているけど、かつてここに天空の宮殿が建てられていたという。
周りは広大なジャングル。聞こえてくるのはヒューヒューという風の音だけ。
▲頂上から見える景色。まさにジャングルのど真ん中と言った感じ。
こんな場所に居を構え、父を死に追いやった悔恨の念にひたすら耐え、いつ襲ってくるかも分からない弟の復讐に怯えながら、ひっそりと隠れるように生きていたカッサパ王。その孤独感と恐怖感がシーギリヤという狂気とも言える城を築かせた、とも想像できます。
▲王様や貴族のために作られたという沐浴場。
寂しげな風の音を聞きながら、ふと思う。
いつの世も人間っていうのは欲を満たすために過ちを犯すものだ。
遠い昔に思いを馳せつつ、しばらくたたずむ・・・。
・・・・・・。
▲ブボボボボボボボッ
風強いッス!・・・帰ろ。
今回のケセラセラ
さすがはスリランカの誇る歴史遺産。お値段は結構高かったですが、見ごたえは十分でした。
普段観光地に興味ない人も、ここは外せない場所だと思います。
しかしどうでもいいけど、頂上にゴミが散乱していたのには閉口しました。
ペットボトルとかお菓子の袋とか。
ゴミは持ち帰るというのが常識の我々日本人からしたらちょっとゴミ散らかし過ぎじゃない?と残念に思いました。
結構な維持費をかけているのであれば見どころスポットの清掃もしっかりしてほしいっす。というか捨てるヤツが悪い!
世界遺産は人類共通の貴重な宝。
見に行く人もそういう意識を持って臨んでもらいたいですね~